HEXA謎解きメタバース『六角殿に眠る真実』ストーリー
序物語 -STORY-
プロローグ
ここは、とある探偵事務所。
所狭しと立ち並ぶ雑居ビルの中でも、ひときわ年季の入った建物の一室だ。お祭り騒ぎのような都会の喧騒も、大通りから一本入れば別世界のような静寂に包まれる。
その静寂は、一人の訪問者によって破られた。
「あのぉ、ごめんくださーい……」ドアから顔を覗かせたのは、探偵事務所にはまるっきり縁の無さそうな、若い女性だ。雑然とした室内を、おどおどと怯えるような視線で見回している。
社会人になったばかりなのか、真新しいグレーのダークスーツを着ているというより、まだ着せられているという印象だ。あどけない印象の表情は、就職活動中の学生に見えなくもない。年齢的に浮気調査や人探しの類ではないだろう。服装的にストーカーの相談や会社調査とも考えにくい。そもそも、若い女性が訪れることなど、全くと言っていいほど無いのだ。この場違いな訪問者は、いったい何の目的でここに来たのだろうか。
そんな風に思いを巡らせた数秒後、意を決したように彼女が口にした言葉は、思いも寄らないものだった。
「六角殿の謎を、解き明かしていただけませんか!?」
六角殿に眠る遺産
興奮気味の女性をひとまず落ち着かせるため、安物のインスタントコーヒーを振る舞い、応接ソファで一息つかせる。
「先ほどは、取り乱してすみませんでした。探偵事務所なんて、初めて来たもので。あっ、わたしこういう者です」
スカートから覗く膝をぴったりと揃え、両手で差し出された名刺には、『黄昏出版編集部 星見杏奈(ほしみあんな)』と記載されている。黄昏出版といえば、有名小説を数多く世に送り出す大手だ。
出版社の編集者が謎解きの依頼とは、一体……。
「先日、作家の六角堂史記(ろっかくどうふみのり)先生が亡くなりました。わたしは、先生の最後の担当編集者です」
六角堂史記。ミステリー界の大御所作家だ。読書家でなくとも、誰でもその名を耳にしたことはあるだろう。作風はかなり独特で、その破滅的なストーリー展開は一部のファンから熱狂的に支持されていた。
彼の著書に初めて触れた者は、どういう思考で物語を組み立てているのか、理解に苦しむという。それほどまでに六角堂の作品は、常軌を逸しているのだ。
「亡くなられた数日後、編集部のわたし宛てに、先生から一通の封書が届きました。こちらがその中身です」
飾り気のない黒のビジネスバッグから星見が取り出したのは、クリアファイルと小さなジッパー付きのビニール袋だ。『黄昏出版』とプリントされたファイルには一枚の紙が、ビニール袋の方には小さな鍵が入っている。差し込む部分にギザギザのついた、ごくありふれた形の刻みキーだが、持ち手の部分にあしらわれた六角形のモチーフが特徴的だ。
クリアファイルの紙は、どこにでもあるようなA4サイズのコピー用紙で、中央に小さく、住所のようなものが印刷されている。
「この紙に記された住所は、六角堂先生の別荘を示しています。そして、これがその別荘の鍵です。ファンの間では”六角殿”という通称で有名な建物なのですが、中に入った人は誰も居なかったそうです。とても特徴的というか……異様な造りになっていまして」
星見は応接テーブルへ紙と鍵を並べ、バッグから一枚の航空写真を取り出した。
「これが、その”六角殿”を上空から見た写真です。建物は先生が私費を投じて建設し、設計にも携わられたという事は分かっています。ところが、いったい何のために建てられたのか、その目的が一切不明なんです。一説には、執筆に集中するためとか、自宅に納まりきらない参考文献を保管するため、といった噂があるのですが……」
写真には、大きな六角形とそれを取り囲むように五つの小さな六角形が配置された構造物が写っている。彼女の言うように、異様な造りだ。よほど六角形にこだわりがあるらしい。
「そして、ここからが本題なのです」そう言うと、星見は住所が記載された紙を裏返した。そこには、様々な色の六角形が6つ並んでいる。
「六角殿に関する噂には、こんなものもあるんです。『あの屋敷には、六角堂の隠し財産が眠っている』と……」
彼女の顔は、いつの間にか神妙な面持ちに変わっていた。発する声も、事務所を訪れた時の鈴を鳴らしたような声色から、幼い見た目とは不釣り合いなほどに低いトーンへと変化している。
「建物の大広間には地下へと続く入口があって、蓋にあたる部分にこの紙と同じ六角形が6つ並んでいます。それがどうやら、6桁の暗証番号になっているようなんです。編集部の方が言うには、この記号が暗証番号を導き出すためのヒントになっているのではないかと……。実は、この封書を受け取ってすぐ、わたし一人で六角殿へ行ってみたんですけど、何が何やらさっぱりで。その後、数名の社員を連れて再び訪れてみたのですが、やはり結果は変わらず……」
6つの六角形で構成された建物に6つのカラフルな六角形、そして、6桁の暗証番号。おそらくこの紙が番号のヒントだという見解は正解だろう。ただ、ひとつだけ気になるのはーー
「そもそも、先生はなぜわたしなんかに大事なものを託したのでしょう。確かに、先生には妻子がおらず天涯孤独の身だったので、いずれあの建物も、国に没収されるそうです。それにしても、なぜわたしなんかに……」
こちらの疑問を察したのか、星見は違和感を口にした。おそらく自身もそう感じていたのだろう。
作家と担当編集者の関係は、作品が完成するまでは一心同体だという。しかし、若い彼女がベテラン小説家とそこまでの関係を築いていたとも考えにくい。
仮に財産が隠されていたとして、この若い編集者にそれを譲ろうとでもいうのだろうか。
「ま、まあとにかく、今はその暗証番号が先決です。実は、編集部の中には、隠し財産というのは先生の未発表原稿なんじゃないか、と言う人まで居て。何が何でも暗証番号を解読しろ、と半ば強制的に業務命令を出されてしまったんです……」
言い終えた星見は、困ったような、泣き出しそうな表情でこちらを見ている。
彼女の依頼内容はもう明白だ。六角堂史記が残したとされる遺産。それが眠る地下室への扉を開錠するため、謎を解き暗証番号を割り出すこと。そして、遺産の正体を明らかにすることだ。
六角殿
翌日。
星見の運転で現地へと向かう。
六角殿が建つのは、事務所から一時間ほど車を走らせた山の中だ。
黄昏出版側は、ある程度の費用はやむを得ないと腹を括っているらしい。調査料の心配が無いのであれば、浮気調査や人探しとは趣の異なる依頼も、たまには悪くない。
「わたしみたいな若輩者が、どうして六角堂先生の担当編集になれたのかって、不思議に思われたでしょう?」
視線を前方に固定したまま、星見は独り言のように話し出した。
「入社して一年も経たない新人に、大御所作家の担当が務まるわけないって、会社の人も皆そう思っていたはずです。実際、気難しい人だったようで、これまでに何人も編集が変わったと聞きました。わたしが指名されたのは、たぶん誰もやりたくなかったからなんです。だけど、いざ先生と対峙してみると全く印象が違って、とても穏やかな方でした。ほとんど素人のわたしの意見を聞いてくれたり、場面の表現方法や人物描写について、丁寧に教えてくれることもありました」
六角堂についてネットで調べた限り、簡単なプロフィールの記載されたポスターが一枚ヒットしたのみだ。おそらく取材はすべて断っており、インタビュー記事などは一切出てこなかった。そこから読み取れるのは、寡黙で厳しい人物という印象だけだ。彼をよく知る人物は、星見が語るエピソードはにわかに信じ難いだろう。
「わたしの父は、わたしが物心つく前に亡くなりました。女手一つでここまで育ててくれた母には、感謝してもしきれません。だけど、もしも父が生きていたら、こんな風に相手してくれたのかな……なんて、少しだけ憧れを感じてしまいました。母には申し訳ないのですが」
窓の外に写る景色は、見慣れた街並みから生い茂る木々へと変わっていった。彼女はハンドルを握りながら、まるで幼少期の思い出を振り返るように語り続ける。
「実は、わたしも学生の頃は小説家を志していたんです。六角堂先生が審査員を務める新人賞にも応募したことがあるんですよ。まあ、結果はお察しのとおりですけど……。それでも、小説の世界で仕事をしたくて、黄昏出版に入社しました。それがまさか、先生の担当を務めさせてもらえるなんて」
深い森の中を走り続け、やがて急に視界が開ける。
「さあ、着きました!」目の前に、西洋の古城を思わせる石造りの館が現れた。事務所で見た写真のとおり、六角形で構成されたその建物は、他者の侵入を拒絶するかのように鎮座している。
「先生は、わたしが担当についてから半年もしないうちに、体調を崩されて入院してしまいました。だけど、病床でも原稿を書き続けて、わたしが初めて携わった作品を仕上げてから亡くなったんです。先生が遺したものが何なのか、なぜわたしにこの鍵を託したのか、地下室にその答えがあるような気がして……。お願いします、どうか六角殿の謎を、解き明かしてください!」
ーー奇妙な館での謎解きが、始まった。